M&Aで交渉相手が決まるまでの必要プロセス
M&Aでの交渉テクニックについて知る前に「実際に交渉が起こるのはどのタイミングか」を把握しておきましょう。M&Aの実務プロセスにおいては、交渉フェーズに入る前に、以下のステップを挟みます。
1. ティーザー(ノンネームシート)の交付
2. 秘密保持契約の締結
3. 企業概要書を含む詳細情報の交付
4. バリエーションの実施
5. 買収スキームの策定
以下より、それぞれのフェーズの基礎情報について解説します。
ティーザー(ノンネームシート)の交付
ティーザー(ノンネームシート)とは、譲渡側がM&Aの譲受側企業を探すために作成する概要書です。ティーザー(ノンネームシート)に記載される情報は、譲渡側企業に対する部分的な情報のみで「具体的にどの企業なのか?」については分からないようになっています。
ティーザー(ノンネームシート)作成の目的は、譲渡側が譲受の可能性がありそうな企業に対し、M&Aへの関心を確認するためです。
秘密保持契約の締結
譲渡側と譲受側企業のマッチングが成立すると、双方の間で秘密保持契約を締結します。秘密保持の義務が生じる内容としては、M&Aにおいて双方でやり取りされる譲渡対象企業に関するものを中心とした情報となります。
なお、やり取りされる情報の内「公然の事実」「事前に相手側が正当に取得していた秘密情報」「相手側がM&A後に正当に取得した情報」「秘密情報の提供企業側が開示に承諾した情報」など、除外される内容もあります。
企業概要書を含む詳細情報の交付
秘密保持契約を締結すると、譲渡側の詳細な情報が記載された企業概要書が交付されます。企業概要書は「インフォーメーション・メモランダム」とも呼ばれ、譲受側企業が本格的な検討のフェーズに進むかどうかの判断材料として使用されるのが一般的です。
譲受側企業がチェックする情報としては「財務状況」「M&Aのシナジー効果」「懸念されるリスク」などです。
バリュエーションの実施
譲渡対象企業の企業価値を測ります(バリュエーション)。バリュエーションを行えば、M&Aに必要なおおよその金額を測定できるため、M&Aの実現可能性をより具体的に把握可能です。
正確な企業価値を測る感覚を養うため、譲受側企業の担当者はバリュエーションを外部の専門家任せにするのではなく、自らも積極的に情報を把握するよう努めると良いでしょう。
買収スキームの策定
企業価値の策定まで終了すると、譲受側企業は「実際にどうやってM&Aを進めるのか?」との買収スキームの策定を行います。M&Aを実行するためのスキームは複数存在し、具体的には「株式譲渡/交換」「事業譲渡」「会社分割」「合併」などがあります。
各スキームでの税務処理、法的手続き、株価への影響などのさまざまな要因から適切なスキームを決定すると、いよいよ双方の交渉が発生するフェーズに突入します。
M&Aのゼロ・サム交渉における基本戦術
M&Aの交渉戦術は2種類に大別され、内ひとつが「ゼロ・サム交渉」です。ゼロ・サム交渉とは、双方に利益のある要素を「譲渡側と譲受側企業でどう分け合うのか」についての交渉を指します。ゼロ・サム交渉は、一方の利益が他方の損失となるため、対立関係が生まれやすい点がネックです。
ゼロ・サム交渉で基本となる交渉戦術として以下のテクニックがあります。
● 譲歩可能な価格を決める
● アンカリング
● 返報性の原理
● ポジティブフレーム/ネガティブフレーム
次項より、それぞれの戦術の詳細を解説します。
譲歩可能な価格を決める
譲歩可能な価格とは、それぞれの妥協点となる最低限の値段設定を指し「留保価格」「妥協レンジ」と表現されるケースもあります。譲渡側にとっては売却の下限価格、譲受側企業にとっては買収の上限価格です。
M&Aでは、譲渡側・譲受側で初期に提示される価格に大きな差が生じることも珍しくありません。しかし、価格を見てすぐに交渉を切り上げるのではなく、お互い譲歩可能な価格を探る必要があります。
アンカリング
アンカリングとは、交渉の初期段階で相手企業に対して自分の理想の金額を提示し、印象付けを行うテクニックです。M&Aにおいては、相手企業側の情報が不十分な初期段階で提示した金額が、最終的な価格決定に影響するケースも多くあります。
アンカリングのコツは、自分の理想の金額を相手企業より先に提示することです。
返報性の原理
返報性の原理とは「相手から何か好意を受けたらそれを返さなければならない」と感じる心理状態を指します。M&Aにおける交渉フェーズにおいても重要な役割を果たします。交渉企業同士の不信感に繋がりかねないゼロ・サム交渉において「お互いに譲り合った」という状況を作り上げるのは大切なプロセスです。
返報性の原理を活用するなら、前述のアンカリングと併用し、最初に提示した理想価格からあえて譲歩することで、相手企業からの信頼を獲得しましょう。
ポジティブフレーム/ネガティブフレーム
ポジティブフレームとは、「ポジティブな伝え方や言葉で相手の行動を促す方法」でネガティブフレームとは「ネガティブな伝え方や言葉で相手の恐怖感を煽る方法」です。M&Aでは、譲受側企業の交渉者が譲渡側のネガティブフレームによって、ほんの些細なリスクでも気になってしまい、交渉がこう着状態になるケースも珍しくありません。
そのため、M&Aの交渉においては、ネガティブフレームに囚われていないかどうかを冷静に判断し、M&A成功で得られる利益を客観的に見極める必要があります。
M&Aプラス・サム交渉における基本戦術
もうひとつのM&A交渉戦術が「プラス・サム交渉」です。プラス・サム交渉とは、譲渡側・譲受側企業の双方が納得のいく利益を獲得することを目指す交渉を指します。プラス・サム交渉では、お互いが満足いく利益を追求しますので、対立も起こりにくいのが特徴です。
プラス・サム交渉を成功させるためには、以下のアプローチ手段が用いられます。
● お互いが追求する利益の見極め
● 信頼関係の構築
それぞれの交渉戦術の詳細について、次の項目より詳細に説明いたします。
お互いが追求する利益の見極め
M&Aの交渉においては、相手企業が追求する利益を見誤ったばかりにミスマッチが発生し、交渉が長引くケースが存在します。例えば、譲渡側の希望は従業員の雇用保証と早期売却であるにも関わらず、譲受側企業が相手側の狙いは高額売却であると誤解する場合などです。
追求利益のミスマッチを回避するためには、例えば譲受側企業が買収金額の提示の際に細かな条件まで提示するなどの手法があります。相手企業がM&Aで重視する要素を早期に発見できれば、プラス・サム交渉にスムーズに移行可能です。
信頼関係の構築
前述のように、M&Aの参加企業同士がお互いの追求する利益を正しく把握するためには、信頼関係の構築が前提として必要です。お互いに不信感を抱いた状態では、プラス・サム交渉を行うことは難しいでしょう。
M&A参加企業間で信頼関係を形成するためにも、M&A担当者は以下のような対応をとっていないか注意する必要があります。
● 相手企業に嘘の情報を伝える
● 情報提供に対し非協力的になる
● 意思決定に必要以上の時間をかける
M&Aにおける価格交渉で把握しておくべき要素
M&Aの交渉で、譲受側企業・譲渡側の双方にとって争点となりやすいのは「価格」についてです。価格交渉において重要な要素を整理すると、下記の3種類が挙がります。
● 交渉価格の上限・下限の決め方
● 最初の価格提示について
● 価格の譲歩について
次の項目より、価格交渉を行うため、譲受側企業が把握しておくべき要素についてご説明します。
交渉価格の上限・下限の決め方
M&Aにおいては、譲受側企業は事前に相手企業の価値算定を行い、買収金額の上限・下限を決めます。基本的に、上限金額は譲受側企業にとっての譲歩可能な価格、下限金額はアンカリングとして相手企業に提示する価格です。
譲受側企業が上限価格を決める際に、M&A成立後のシナジーまで見込んだ高い金額で価格設定をしてしまうと、思った通りのシナジーが発揮されなかった場合に減損が発生する可能性があります。そのため、上限価格はシナジー効果を見込んだものより低い数値を設定する必要があります。
最初の価格提示について
譲受側企業としては、M&Aの交渉における最初の価格提示で自社の下限価格を提示するのがベターですが、その金額が譲渡側が想定している売却価格の下限値に近いとより理想的です。初期段階で、譲渡側が想定している下限値に対してアンカリングができれば、その後の交渉もスムーズに進みます。
最初の価格提示では、バリュエーションで得られた情報をもとに、希望金額の妥当性を譲渡側に説明できればより効果的です。
価格の譲歩について
M&Aの買収金額について譲歩を行う場合、相手企業側が想定しているであろう譲歩可能な価格の少し下の金額を提示するのが重要です。
例えば、譲渡側が20億円を譲歩可能な価格として設定していると予想した場合、18億円ほどの価格を提示します。すると、相手企業から希望金額が提示されます。この際に、譲渡側の実際の譲歩可能な価格が20億円であれば20億円以上の金額が、25億円であれば25億円越えの金額が提示される可能性が高いでしょう。
M&Aの交渉フェーズでは、上記のプロセスを繰り返し実際の妥協点を探ります。
M&Aで直接交渉は可能?
M&Aにおいては、仲介業者に依頼せず、自ら相手企業と交渉を行う直接交渉も不可能ではありません。直接交渉を行うメリットは、仲介業者への依頼料を削減できる点です。
しかし、M&Aの交渉を成功させるためには「適正相場の把握」をはじめとする、多くの実務プロセスへの理解や豊富な経験から来る勘どころの押さえ方が重要と言えます。そのため、よほどの事情がない限りM&Aの交渉においては仲介業者へ依頼を行うのが賢明です。
まとめ
M&Aの実務プロセスで交渉を行うのは、買収価格をはじめとする譲渡側企業・譲受側企業双方の妥協点の模索です。交渉をスムーズに進めるためにも、買収価格の相場や相手の追求する利益について事前に把握する必要があります。
M&Aにおける交渉戦術は、限られた利益の源泉について妥協点を見つけるためのゼロ・サム交渉、利益の源泉を拡大して双方納得の行く形を目指すプラス・サム交渉があります。基本的に、ゼロ・サム交渉は企業間での対立に発展しやすいため、プラス・サム交渉を目指すようにしましょう。