ベンチャー企業のM&A動向
従来、日本のベンチャー企業がEXITする手段は、IPOが主流でした。日本においてIPOが主流であることは、他国との比較から理解できます。
以下に示した2016年から2018年のデータでは、主要国に比べ日本におけるベンチャー企業のM&A件数が少ないことが見て取れます。これには、ベンチャー経営者の中で株式上場を一つのゴールとする傾向が強いことや、ベンチャー企業の受け皿となるグロース市場(旧東証マザーズ)で求められる時価総額の基準が比較的低く、上場のハードルが低いことなど複合的な要因が考えられます。
しかし、2020年以降は日本においても、ベンチャー企業がM&Aによる売却を選ぶことが増えているのです。EYJapanが発表したレポート「EYスタートアップM&A動向調査2021」によると、2021年のベンチャー企業を対象とするM&A件数は、前年比を大きく上回り過去最高の件数を記録しています。また、2021年はM&A件数の増加だけではなく、グローバル企業による大型買収も見られました。米国の大手決済企業であるPayPalが、ユニコーン企業であった後払い決済のPaidyを約3,000億円で買収したのが代表的な事例です。
今後は地政学的なリスクなどの不安要因はあるものの、日本においてもベンチャー企業のM&A件数の増加とグローバル企業を巻き込んだ案件の大型化が進んでいくものと考えられます。
各国におけるベンチャーM&Aの件数
出典:大企業とベンチャー企業の経営統合の在り方に係る調査研究|株式会社三菱総合研究所
ベンチャー企業にとってのM&Aの意味
ここでは、ベンチャー企業にとってM&Aがどのような意味を持つのかについて解説します。
成長戦略
M&Aは、既存の競争相手よりも規模の小さいベンチャー企業が、事業を拡大していく手段といえます。資金調達による事業拡大という観点ではIPOも主要な手段となりますが、M&Aでは後述の通り買収した企業とのシナジー効果が期待できるなどのメリットがあります。
ベンチャー企業が成長するためには、自社にはないノウハウの獲得やアプローチできていない市場への攻略が求められますがM&Aによってこれらを一気に実現し、成長スピードを速めることが可能となります。
EXIT戦略
EXITによる創業者利益を獲得するという観点でも、M&Aは重要な手段となります。日本ではM&Aは経営者による身売りとみなされることが多く、EXITの主要な手段とみなされない傾向にありました。しかし、M&AによるEXITにはいくつかのメリットがあります。
一般的に、IPOよりもM&AによるEXITの方がIPOに向けた準備が不要な分、短期間で実現することができます。経営者が別の業界で新たに起業するための資金を得たい場合などは、M&AによるEXITを選択するのは一つの選択肢となります。一方で、M&A実施後も会社に残る従業員に対するケアを適切に行うことで、モチベーションを落とさないようにすることが重要となります。
後継者問題の解決
経営者が高齢であるなどの事情で経営を長く続けられない場合は、後継者の確保という意味合いでM&Aによる売却が検討されることがあります。経営基盤の大きい企業や競争力の高い企業によるM&Aであれば、スキルの高い人材を後継者として選任することが可能となります。M&Aを活用することにより、人づてで探すよりも効率よく後継者を見つけられる可能性が高まります。
ベンチャー企業のM&Aにおける買い手側のメリット
ベンチャー企業のM&Aにおいて、買い手側にはどのようなメリットがあるのでしょうか。ここでは、代表的なものをいくつか紹介します。
新領域への事業拡大
ベンチャー企業のM&Aにおいて、買い手となる企業は大企業であることが多いです。しかし、大企業といえどもこれまで経験のない新領域に事業展開するには、多額のコストと長い時間が必要となります。
そこで、新領域への事業拡大をスピードアップする手段として、ベンチャー企業を対象とするM&Aが浮上するのです。当然ながら買収対象のベンチャー企業の時価総額が高ければ、M&Aによる買収コストも大きくなります。
しかし、ゼロから事業を立ち上げ軌道に乗せるまでにかかる時間を考慮した場合には、M&Aによる買収が費用対効果の高い選択になることがあります。
シナジー効果の実現
M&Aによる代表的なメリットの一つが、シナジー効果です。シナジー効果は、日本語に直すと相乗効果と呼ばれます。
例えば、BtoC市場において有力な商品を持つ企業がECでの販売を目指すケースを考えてみましょう。もしM&AによってECのシステム開発を得意とするIT企業を買収することができれば、従来アプローチできていなかったECの領域に当初から持っている有力な商品を投入することで、売上と事業規模の拡大が実現できます。これがM&Aにおいて期待できるシナジー効果です。
技術やノウハウの迅速な獲得
新技術や事業ノウハウを迅速に獲得する手段としても、M&Aを活用することができます。新規事業の立ち上げに時間がかかるのと同様に新たな技術やノウハウを得るためには、人材育成や研究開発が必要となります。ここでもM&Aを活用することにより、技術やノウハウを持った人材の育成にかかる時間を省き、事業のスピードを上げることができます。
また、この場合のM&Aには、売り手となる企業にもメリットがあります。大学発のベンチャーなど革新的な技術を持つ一方で、規模が小さく経営体力に乏しい企業にとっては、M&Aによって大手企業の一部になった方が技術の開発や研究に集中でき、従来の強みを発揮できるケースがあります。
M&Aでの売却に成功するベンチャー企業の特徴
ここでは、M&Aでの売却に成功するベンチャー企業の特徴について解説します。
業界の動向を見極められる
M&Aによる売却に成功するベンチャー企業は、業界の動向を正確に見極め、適切なタイミングでM&Aを成立させています。例えば、少数のプレイヤーしか存在しなかった市場において、大手企業が参入してくると事業規模に劣るベンチャー企業は、よほどの強みがなければ劣勢を強いられるでしょう。
しかし、事前にこの動きを察知した上で、M&Aによって大企業の傘下に入ることができれば、安定した経営基盤の下で消耗戦を避けつつ、有利に市場競争に臨むことができます。買い手となる大企業としても、従来であれば競争相手になる企業を味方につけることで新規参入のハードルが下がるでしょう。
シナジー効果を見極められる
M&Aを成功させるためには、買収の結果として期待できるシナジー効果を見極めることが重要です。一口にシナジー効果といっても様々なケースがあります。BtoCとBtoBという市場セグメントの観点や、高級志向か大衆向けかという価格帯の観点など多岐にわたります。
M&Aに成功するベンチャー企業は、買い手となる企業に足りていない部分は何か、逆に重複している部分はないかなどをM&Aに先立って入念に調査しています。買い手企業からシナジー効果があると評価されれば、従来の時価総額より高い金額でM&Aが成立することになります。
PMI戦略を立案している
ベンチャー企業にとってM&Aによる売却は通過点であり、ゴールではありません。M&Aの後も、買い手企業への統合プロセスつまりPMI(ポスト・マージャー・インテグレーション)が控えています。M&Aによるシナジー効果を享受するためには、買収後も従来の強みが発揮できることが前提となります。
M&Aが成立したとしても従来は別々の会社ですので、人事制度、組織体系および基幹システムの構造など異なる部分が多々あります。これらの相違点を業務に支障なく統合していくことは、非常に困難で時間のかかる取り組みです。PMIに取り組む専門の部署を立ち上げたり、PMIの中長期的な計画を作成するなど、会社を挙げた施策が必要になります。M&Aに成功する企業は、M&A後のPMI戦略を入念に立案し確実に実行しています。
ベンチャー企業のM&Aを成功させるポイント
ベンチャー企業のM&Aを成功させるためには、買い手企業との相性(シナジー)、タイミングが重要です。より大きなシナジーを期待できる相手とマッチングすることにより、売り手としては高額での売却が望めます。
また、シナジーが大きいということはそれだけ企業が成長し、従業員のモチベーションも維持できることが期待できます。
事業が成長段階にあり、安定した成長を維持できる場合には、高額での売却が期待できます。さらには、市場の景気が良く、買い手側が複数いる場合も高額になる傾向があります。
ベンチャー企業の経営資源では、人材が重要です。人材・チームワークが事業を支えているため、営業力の低下やキーパーソンの離職が経営に深刻なダメージとなります。
したがって、M&Aについての情報開示をするタイミングや方法には、十分配慮し、M&A実行前から経営統合段階にかけて離職防止のための十分なフォローを行う必要があります。
特にキーパーソンに対しては早い段階からフォローをすることが重要です。
まとめ
従来はIPOが主流であった日本においても、近年はベンチャー企業のM&A件数が大幅に増加しており、グローバル企業の参入による案件の大型化が顕著です。ベンチャー企業は成長の手段に加えて、EXITや後継者確保の観点でもM&Aを重視しており、M&Aによる売却を通した迅速な事業拡大やシナジー効果の創出を目指しています。また、事前に業界の動向、シナジー効果の有無およびPMI戦略の立案を入念に行うことが、M&Aに成功するベンチャー企業の共通点といえるでしょう。