民事信託の仕組みは?
民事信託とは、特定の財産を信頼できる者へ託すために使われる制度のことです。具体的には、信頼できる人、つまり受託者へ、財産の名義を移すために交わす契約のことを指して民事信託と呼びます。契約を結ぶことで、受託者に特定の財産の管理や活用、承継をしてもらうことができます。
この財産というのは、不動産であったり会社であったりと、その人によって異なるでしょう。また民事信託は相続対策としてはもちろんのこと、近年問題視されている「認知症対策」としても活用されている制度です。民事信託の特徴は、元気で健康なうちに、将来、財産をどのようにするのか保有者自身が選択できる点にあります。
民事信託について、しっかりと理解するためには「委託者」「受託者」「受益者」といった、3人の登場人物を把握しておきましょう。まず委託者とは、財産を保有している人であり民事信託を委託する人のことを指します。そして受託者とは、委託者が保有している財産を委託され、財産の管理や活用、承継を行う人です。受益者とは、委託者が受託者に委託した財産によって生まれる利益を受け取る人のことです。
委託者が、特定の財産を受託者へ預け、それによって生まれる利益は受益者のものということです。民事信託においては、受託者と受益者が同一であるケースも、異なるケースもあります。また、委託者と受益者が同一人物でも問題ありません。
民事信託とは?
本章では、民事信託という制度の概要と生まれた背景について、さらに詳しく解説します。より柔軟に財産を守り、運用できる民事信託。同制度を用いることで、何ができるのか、また何を目的として生まれた制度であるのか、その本質を理解した上で活用を検討してください。
財産承継を柔軟にできる制度
民事信託の特徴として、まず挙げられるのが「本人が健康なうちに、財産承継ができる」という点です。自身の生存中から、死亡後に残る財産の管理や活用、承継を設定するため、将来を見据えた、相続対策として有効です。
のちほど説明しますが、民事信託は「成年後見人制度」とは異なり、受託者や受益者を自身で選ぶことができます。自身が信頼のおける人へ、財産を譲ることができるため安心です。
また受益者の死後に発生した相続を「二次相続」と呼びます。民事信託は、この二次相続以降に承継する人を指名できることも特徴です。つまり民事信託とは、従来の制度では不可能であったことを、可能にする制度といえるでしょう。
民事信託が生まれた背景は?
ではなぜ民事信託という制度が誕生したのでしょう。信託という制度自体は、明治時代後期に導入され、大正時代に信託法が制定されたといわれています。
従来の信託には信託銀行等が行っている営利目的の「商事信託」と報酬を得ないで行う「民事信託」がありましたが、このときの民事信託はほとんど活用されておらず、商事信託がほとんどでした。
その後、社会や経済の発展に伴い、信託をもっと様々な投資や金融の手法として活用したいという声や、急速な高齢化によって、高齢者の財産管理や遺産承継を行う制度として活用したいという声も高まり、平成19年に信託法が改正されました。この法改正によって、信託を投資や金融手法など、より幅広く活用できるようになります。
法改正により、民事信託の運用方法が明確になり、家族や親族が受託者となって財産管理を行うことがより簡単な仕組みとなったものの、一般的に活用されはじめてからの歴史は浅いので、しっかりと知識をもったうえで検討しなければなりません。
商事信託・家族信託・遺言などとの違い
〇〇信託と呼ばれる制度には、民事信託の他にも「商事信託」や「家族信託」などがあります。また民事信託と制度の内容が類似した「遺言」なども、聞き覚えがあるでしょう。本章では、民事信託と商事信託・家族信託・遺言を比較し、異なる点を解説します。
一般的な信託との違い
「信託」と聞いて、まず思いつくのは、銀行などが販売している「投資信託」や信託銀行などが行う「遺言信託」でしょう。では、民事信託と投資信託や遺言信託との違いは何なのでしょうか。
いずれも、受託者が信託財産を管理していくという点では同じ意味をもちます。しかし、信託銀行や信託会社が行う信託は、報酬を受け取って行うものであり、内閣総理大臣の免許や登録が必要になります。一方で、民事信託は財産を管理する人を家族や親戚にすることが多く、受託者の報酬は定めないことが多いです。
また、信託銀行が行う信託は、資産家を対象としていますが、民事信託は、家族間で行うことができる「信託」ですので、一般の個人にとっても身近な制度といえるでしょう。
信託が抱えるリスク
通常、自分が所有している財産は自分で管理や処理をしますが、信託では「受託者」という第三者に委託して財産管理や処分を行うことになります。
よって、信託財産の名義人となった「受託者」は、特定の財産に対して、管理や処分ができる権限を持つ唯一の存在となりますので、受託者を慎重に選ばなければ、財産を持ち逃げされてしまう可能性もあるということです。
商事信託との違い
次に「商事信託」について解説します。商事信託は、民事信託とともに明治時代後期から大正時代に生まれた制度です。
では商事信託とはどのような制度なのでしょうか。「商(あきない)」という文字が入っているだけあり、商事信託とは受託者がビジネスを目的に、財産を管理したり、運用したりする制度です。この場合での受託者とは、信託銀行や信託会社のことを意味します。
そしてこの受託者こそが、民事信託との大きな違いです。民事信託は、財産の管理をする人を「信頼のおける自分の家族・親族にする」ことが多く、基本的に非営利信託であり、商事信託の場合は、信託銀行や信託会社がビジネスを目的に財産を管理、運用しています。
家族信託との違い
信託のなかには「家族信託」と呼ばれるものもあります。これは民事信託の一種とされており、民事信託のなかでも「家族」が受託者となる場合を家族信託と呼んでいます。
家族信託は民事信託の別称とも言えますが、民事信託という法律用語があるわけではなく、商事信託に対応する信託制度の概要を説明するときに便宜上の言葉として利用されることの多い用語です。
遺言書との違い
特定の財産を家族などへ継承することができる民事信託ですが、この部分だけを見ると、一般的にも知られている「遺言」にも似ています。
しかし、民事(家族)信託には、遺言制度がもたない3つの特徴があります。
1. 遺言者(委託者)だけでの書き換えはできない
2. 生前から効力をもつ
3. 受益者を二代、三代先まで指定できる
それぞれについて、詳しく解説します。
1点目の「遺言者(委託者)だけでの書き換えはできない」についてですが、遺言書の場合、仮に家族会議などで決めた内容で、遺言書の作成をしたとしても、その後、遺言者のみの意思で遺言を書き換えることが可能です。
それに対して、民事信託は「委託者(遺言者)」と「受託者(家族)」の間で交わされる契約であるため、内容を変更する際は、双方の合意が必要となります。つまり、遺言者の一存では契約内容を変えることができないのです。
2点目の「生前から効力をもつ」というのは、言い換えれば、民事信託と遺言制度では、契約内容の効力が生じるタイミングが異なるということです。
遺言書は遺言者が死亡してからでないと効力がありませんが、民事信託は、委託者の死亡後だけでなく、生前の財産管理にも対応できるということです。
そのため、不動産や会社などの財産をもっている人が、認知症などを患い、財産を管理できる状態でなくなっても、受託者(家族)にその財産の管理や運用、処分を任せることができるので、どの財産をどういう形で使って欲しいのか、信託契約を結ぶ際に具体的に指定して自分の希望を叶えることができます。
3点目の「受益者を二代、三代先まで指定できる」とは、受益者を指定できる範囲が、民事信託と遺言制度では異なるということです。
遺言は、財産を保有している人(遺言者)が、自分が亡くなった後の相続財産を誰に承継させるのかを決めるための制度です。一方で、民事信託は、遺言では出来なかった二次相続以降の資産承継にも対応することができます。例えば「自分の会社は息子に譲る、そして息子の死後は孫に会社を譲るように」と決められるということです。二次相続まで考慮して財産の承継者を決めておくことで、遺産分割や相続税の負担などの問題をより広い視点から考慮することができます。
成年後見制度との違い
認知症や障がいによる判断能力の低下による不都合を、後見人となる第三者が財産管理や契約の締結などを行い、支援するための制度を「成年後見制度」といいます。成年後見制度によって専任された者は、本人に代わってさまざまな手続きを代行することが可能です。
どちらも財産管理能力が低下した場合や喪失した場合に活用できる制度である点は共通していますが、成年後見人制度と民事信託との役割の違いとして、成年後見人制度では、判断力に乏しいとされた段階からでしか、本人に代わって財産の管理等をすることはできませんが、民事信託であれば、判断力が十分であるうちから、受託者が委任者に代わって財産を管理できるのです。つまり成年後見制度が、財産を守るうえでの「対処」であるならば、民事信託は「対策」といえます。
民事信託の5つの機能
ここまでの内容から、民事信託で行える事柄について、おおよその把握ができていることでしょう。本章では、ここまでの内容のおさらいをしつつ、民事信託の機能について解説していきます。
1.三代先の相続まで決定できる
先ほども説明したように、遺言書などでは自身が亡くなったあとに財産を譲る人しか決めることができませんが、民事信託であれば、三代先の相続まで決めることができます。
会社など、自身の死後も存続していく財産においては、三代先まで相続人を決めておけることは心強いでしょう。自身が亡くなったあとも、安定して会社経営を続けていくことができるうえに、後継者問題も軽減できます。
2.現状の相続制度に対してあらゆる面で万能
民事信託は、遺言や成年後見人制度と比較して万能である点が多い制度です。遺言制度や成年後見制度、それぞれが抱える課題を民事信託が解決してくれます。
まずは、遺言制度が抱える課題を説明します。
前述したように、遺言制度によって遺言書を作成したとしても、後日、本人(遺言者)のみの意思で内容を書き換えができてしまいます。また、遺贈者と受遺者、両者が合意した上で結ぶ契約ではないため、遺言者の一方的な意思表示となってしまいます。
また、遺言制度では、一代先の相続内容しか決められなかったり、遺言書にミスがある場合は、無効となってしまう恐れもあるでしょう。
次に、成年後見人制度が抱える課題を解説します。
成年後見制度を用いることで、財産のすべてが家庭裁判所の管理下に置かれてしまいます。さらに、大きな財産を扱う場合は家庭裁判所との打合せや許可が必要になります。そして、収支報告を毎年行わなければならないといった手間も発生します。また、成年後見制度を活用する場合は、本人の財産をすべて開示しなければなりません。
後ほど詳しく説明しますが、上記のような課題を民事信託で解決することができるのです。
3.分割方法を詳細に決められる
民事信託では、遺産の分割方法までを詳細に決めることができます。
民事信託を用いた場合、会社などの事業承継において自分の持ち株を誰に渡して、経営権は誰に託すのかなど、家族間での対話を通じで家族信託を設定することにより、条件付きの財産承継などを行うことができます。
会社以外でも、民事信託を設定する際に財産の分割方法や割合を定めることで、委託者が生前から受託者を通じて相続対策ができますので、委託者と相続人全員が納得のいく方法を決めることができるのも民事信託の魅力です。
4.利益を分配できる
民事信託は管理や処分を1人に集約させつつ、財産から得た利益を複数の人に分配することも可能になります。
この点については、不動産を例にすると分かりやすいです。
不動産が共有状態になると共同相続人全員の同意がないと売却もできなくなりますが、民事信託で定めることによって受託者のみの判断で売却が可能になります。財産からの収益や売却益は分配することができますので、公平な利益分配が可能になります。
5.生前から財産管理を自由にできる
ここまでの内容からも、すでにお分かりいただけているでしょうが、民事信託では、自分の財産の利用方法を生前にあらかじめ決めておくことができます。次世代だけでなく、その次の世代まで考慮した財産計画を立てることができるのは、民事信託の大きな特徴です。
民事信託をおこなうメリット6つ
本章では、実際に民事信託を検討している方へ向けて、そのメリットを解説します。民事信託を用いることで得られるであろうメリットは6つあります。それぞれについて見ていきましょう。
1.遺言では対応できない細かな要望にも応えることができる
民事信託も遺言も自身が希望する相手に財産を残すという点では同様ですが、
遺言書では以下のような要望には応えることができません。
● 遺産を毎月定額(年金形式)で受け取れるようにしてあげたい
● 特定の目的のために遺産を使ってほしい
● 相続人などが一定の年齢になってから遺産を渡したい
● 相続人が遺産を使いきれず死亡した場合、次に遺産を渡す相手を指定しておきたい
「遺産の使い道」や「二次相続の相続人」を遺言書で指定することはできませんが、民事信託であれば、そういった細かな要望にも応えることが可能です。
2.不動産共有化によるリスクを軽減できる
先程「民事信託の5つの機能」でも触れましたが、不動産の管理処分権限を受託者に集約させておいて、信託受益権を複数人の受益者で共有することで、不動産共有化によるリスクを軽減させることができます。案外これが大きなメリットになる方も多いと思います。
3.委託者の意思を受け継ぐことができる
将来的に認知症などで判断能力が低下するようなことがあり、財産の管理や処分することができなくなったとしても、正常な判断ができるうちに自分の財産を信託しておくことで、受託者による財産の管理をすることができます。
4.財産管理の要望に応えることができる
高齢や障がいにより判断能力が低下した場合、財産管理の手段として使われる成年後見人制度ですが、この制度は、本人の利益のための制度であるため、原則的には財産を維持しつつ、本人のためにのみ支出することが目的のため、以下のような要望に応えることはできません。
● 判断能力が低下した後も積極的に資産運用したい
● 判断能力が低下した後も相続税対策のために生前贈与を継続したい
民事信託ならば、上記のどちらに対しても対応できますので、より使い勝手のよい財産管理を行うことが可能です。
5.信託の倒産隔離機能
民事信託には「倒産隔離機能」というものが備わっています。委託者が受託者に信託した財産は、委託者の財産とは切り離され受託者の名義となります。また、形式的には受託者が財産の名義人となっていますが、委託者からの依頼を受けてその財産の管理・処分を行っているだけなので、受託者の債権者による信託財産の回収は認めらせません。倒産隔離とは、債権回収を目的とんした、債権者の追求を防ぎ、保有する資産を保護する機能のことを指します。つまり、委託者や受託者が破産しても債権者は信託財産からは回収できないということになります。
6.後継ぎ遺贈型受益者連続信託が利用できる
民事信託を活用することで「後継ぎ遺贈型受益者連続信託」を使うことができます。後継ぎ遺贈型受益者連続信託とは、先程から登場している三代先まで相続人を決めておくことができる機能のことです。
これによって、代々の資産が他の家系へ渡ることがないようにできますので、自社の株式を信託し、二代目、三代目の後継者を指定しておくことで、経営権をスムーズに譲渡できます。
これは会社だけでなく不動産を継承する場合にも、大きなメリットとなるでしょう。
中小企業が活用するメリット
民事信託を活用することで、多くのメリットを得られるのは、個人だけではなく、企業の経営者であっても、民事信託を活用することには、たくさんのメリットがあります。特に親族経営である中小企業は、民事信託の活用が向いています。本章では中小企業の経営者が、民事信託を用いることで得られるであろうメリットを紹介します。
贈与税がかからない
事業継承の場合は、委託者(現在のオーナー)が受益者も兼任し、受託者を「後継者」という位置づけにすることで、贈与税が発生しません。この場合、株式の名義は後継者へ移りますが、実質的な所有権は委託者のままであるためです。
ただし、委託者と受益者が異なる場合は、通常通りの贈与税が課されるので、注意してください。
経営権を維持できる
中小企業のオーナーが認知症などを患った場合や急死した場合でも、事前に民事信託契約を結んで自社の株式を後継者(受託者)へ譲渡しておくことで、会社の機能を維持しつつ、スムーズに運営や事業譲渡ができるということは、中小企業のオーナーにとってメリットです。
これに対し、現在のオーナーが生前贈与によって後継者へ株式を譲渡すると、会社に対するあらゆる法的権利が、全て後継者へ移ってしまいます。民事信託であれば、一定の権限を現在のオーナー(委託者)へ残しつつ、株式のみを後継者へ譲渡できるので、まさしく「いいとこ取り」といえるでしょう。
適正がない場合の信託解除
後継者に会社経営を引き継ぐ場合、適性の有無は実際に経営をさせてみなければわからない面もあるでしょう。後継者へ会社を譲渡したあと、その後継者に会社経営の適性が無いと判断される場合も十分にあり得ます。
このような場合でも、民事信託を活用して自社の株式を後継者へ信託していれば、受託者と受益者の合意さえあれば、信託契約を終了することができます。通常は贈与性の課税を防ぐために委託者=受託者であることがほとんどですので、現在のオーナーの一存で信託契約を解消することができます。
生前贈与で株式の所有権が後継者に移転していた場合は、後継者から元のオーナーへ所有権を戻すタイミングで贈与税が課税されてしまいますが、民事信託であれば贈与税が課税されるということもありません。
民事信託のデメリット
個人はもちろん、中小企業のオーナーにとっても多くのメリットがある民事信託。しかし、メリットの反面、デメリットも存在します。信託契約は、財産という大きなお金を動かす契約です。メリットだけでなく、デメリットも考慮したうえで検討しなければ、機能を十分に活用できなかったり、決めておきたいことを決定できなかったりという事態を招くでしょう。
受託者の選定によっては存分に機能しないケースもある
財産を預かり管理・運用する受託者は、法律上のさまざまな義務が発生します。
そして、これらの義務に考慮したうえで、適切な運用を続けていけるか否かは、結局のところ受託者の能力に左右されてしまうといった側面があります。
受託者を慎重に選ばなければ、適切な運用ができないどころか、財産を持ち逃げされてしまう可能性もゼロではありません。民事信託を活用する場合は、このようなリスクも考慮し、信頼がおける人物であることはもちろん、本人の能力なども考え、慎重な人選をおこなってください。
損益通算はできない
不動産を信託財産にする場合、信託財産にしたものとそれ以外のものは損益通算することができないので注意が必要です。
損益通算ができないとは、どういうことか、アパートの例に沿って説明します。
まず、XとY、2つのアパートを経営している者がいるとします。そして年間の収益は、Xが赤字でYは黒字でした。この場合XとY両方を信託財産にせず、元のとおり経営者が保有していれば通常通り損益通算が可能となります。
しかし、どちらか片方を信託財産とした場合、もう一方のアパートの利益と通算することはできないのです。また、信託財産となっている不動産の損失を翌年以降に繰り越しすることもできないため、その点も気を付けておく必要があります。
税金の申告手続きに手間がかかる
民事信託を活用する場合、書類の作成や税金の申告手続きに手間がかかるという点についても、考慮しなければなりません。
1年分の信託財産からの収益の合計が3万円以上である場合、信託の計算書と合計表の提出をしなければなりません。
また、信託財産から発生した不動産所得がある場合は、上記の書類に加えて不動産所得に関する明細書も必要となります。税務手続きにかかる手間は、民事信託を行うことで増えてしまうと、留意してください。
決められないこともある
民事信託は、さまざまな要望にも柔軟に対応でき、財産の管理計画を細かく立てられる制度ですが、「何でも自由に決められる」ということではありません。なかには、民事信託で決めることができないものもあるのです。
生前に行う民事信託では、全ての財産を「信託財産」とすることはできません。信託財産から漏れるものは、遺言書等を活用して、別に遺産分割方法を考えなければならないのです。
相続トラブルを避けるため財産の分け方を全て決めることはできないということです。
成年後見制度とは異なり、民事信託を結んだからといって、あらゆる手続きを代行してもらうことはできません。あくまでも、財産の信託に関する事柄のみしか決められないことを前提に、民事信託の利用を検討してください。
民事信託の利用に向いている人
ここまで民事信託の仕組みや機能、メリット、デメリットなどを解説してきました。そこで、民事信託の利用が向いている人とはどのような人なのでしょうか。
● 前妻との間に子どもがいる場合
● 事業承継を行う場合
それぞれについて、なぜ民事信託の利用が向いているのか説明していきます。
Aさんには離婚した前妻との間に子供がおり、現在はBさんと再婚されています。自分に相続が発生した場合、Bに財産の多くを遺したいと考えていますが、Bさんが相続した財産はBさんが亡くなった際にはBさんの法定相続人である兄弟姉妹にいくこととなり、自分の子供に資産が渡らないことなることに対して不満を感じていました。
もちろん本人が死亡したあとに、後妻が遺言書を書いてくれれば、子どもたちにも財産を残すことができますが、確実な方法とは言えません。
しかし、民事信託を結べば、遺言書では対応できない二次相続までも生前に決めておくことが可能となります。これは前妻と後妻、それぞれの間に子どもがいるケースでも同様です。
事業承継をおこなう場合にも、民事信託は有効です。中小企業の経営者が、自身の子どもに経営権を譲る場合、従来は株式の「生前贈与」や「売却」と言った方法が取られていました。しかし、これには相応の贈与税がかかります。贈与税は相続税よりも負担が大きいため、相続が発生するまで待ち、相続財産として自社株式を引き継いでいました。しかしこれも、確実に子どもへ渡るかどうかは不安が残る方法です。
そこで民事信託を活用しましょう。初めは本人が委託者と受益者を兼任し、後継者(子ども)を受託者とします。本人が亡くなった場合には、後継者が受益者となることを定めることで、確実に子どもへ経営権を譲ることができます。
民事信託の活用事例
1. 認知症対策の一環として
相続税対策のため、子どもには一括ではなく分割で財産を渡したいが、認知症になったら困るという場合です。民事信託によって、判断能力があるうちに信託契約を結んでおくことで解消できます。
2. 後継ぎ問題を避けるため
中小企業の後継ぎ問題を避けるために活用した事例です。
「民事信託を行うメリット」でも解説しましたが、民事信託には後継ぎ遺贈型受益者連続信託の機能が備わっています。これを活用することで、委託者が二次相続以降まで、経営権を誰に譲るのか決めることができるのです。言い換えれば、二次以降の後継ぎ問題まで解決できるということです。
3. 子どもがいない夫婦の相続問題を解決するため
子どもがいない夫婦が民事信託を活用した場合。夫が死亡した場合、その財産は妻へ渡ります。しかし妻が死亡した場合は、その財産が妻の兄弟へ渡ることとなります。それで問題ない場合は良いですが、他の人(夫の兄弟など)へ財産を残したい場合には、民事信託を活用し、あらかじめ相続人を決めておくことができるのです。
民事信託にかかる費用は?
ここでは民事信託を行う際にはどのような手続きが必要なのか、また、どのような費用がどれくらいかかるのかを説明していきます。民事信託は専門家を介さずとも自分たちだけで契約を行うことができる手軽な制度ではありますが、トラブルを避けるためにも、専門家へ相談しながら、信託契約を結ぶことを前提に、費用の解説をしていきます。
民事信託にかかるトータル費用
民事信託にかかる料金の内訳は「専門家のコンサルティング費用」「公正証書の作成費用」「不動産の登記費用」が主です。民事信託にかかるトータルの費用は、信託財産のなかに、不動産が含まれているか否かで大きく差が生じます。
不動産がある場合のトータル費用は、50〜100万円程度であるのに対して、不動産が含まれない場合は、30〜70万円程度が相場となります。不動産の有無によって金額が異なるのは、不動産の登記手続きに費用がかかるためです。
これらの相場は、信託財産の種類や内容により変動するので、一つの目安として参考にして下さい。
専門家のコンサルティング費用
民事信託の設計コンサルティングは、主に司法書士や弁護士などの法律系の士業が行っています。
金額は財産の額によって異なりますが、相場は信託財産の1%ほど。しかし現在は、コンサルティング費用に関する基準などがないため、依頼する事務所によっても金額が左右されてしまいます。複数の事務所を比較し、検討することをおすすめします。
公正証書の作成費用
民事信託の設計が完了したら、次に公正証書を作成します。家族間で結ぶ契約であるため、契約自体は口頭でも可能ですが、トラブルを防ぐためには、書面に残しておきましょう。必ずしも公正証書である必要はありませんが、少なくとも信託契約書の作成はしておきたいところです。
公正証書を作成する際は、公証人手数料が発生します。信託財産の金額によって異なりますが、信託財産が5,000万円ほどであれば「3〜5万程度」、1億円以上であれば「5万円から」を目安にしてください。
不動産の登記費用
信託財産に不動産が含まれている場合は、その「登記費用」も発生します。具体的には、公正証書を作成したのち、法務局で「所有権移転及び信託」の登記を申請するための費用になります。
信託の登記時には「登録免許税」が発生します。金額は固定資産税評価額の0.4%ですが、土地には、租税特別措置法が適用されるため、0.3%の軽減税率が有効となります。
民事信託を行う方法
民事信託を行うには、以下3つ方法があります。
● 信託契約
● 自己信託
● 遺言
「信託契約」は、まず委託者と受託者が信託の目的を決めたのち、財産の具体的な管理処分方法や受益者を決める方法です。信託契約は、委託者と受託者の間で交わすものであるため、受益者の関与は任意ですが、トラブルを回避するためにはいたほうがよいでしょう。
「自己信託」は、委託者と受託者が同一人物である場合におこなう方法です。法的には「信託宣言」とされており、委託者と受託者が同様である場合、周囲の者に認識できないため、公正証書という形で残すのが一般的です。
財産の管理処分に関する取り決めは「遺言」でも可能です。しかし、遺言によって信託した場合は、本人の死亡後に効力が発生します。銀行等を介して、受託者へ財産を譲りますが、銀行によっては不動産には対応していない可能性もあるので、注意してください。
弁護士に依頼して民事信託を行う流れ
より確実に民事信託の契約を結ぶためには、弁護士への依頼がおすすめです。契約内容の相談ができることはもちろんですが、公正証書など確実な形で、契約を結べます。本章では、弁護士へ依頼して、民事信託を行う場合の流れや、発生する費用の目安などを解説するので、参考にしてください。
遺言書の作成をする
弁護士へ依頼して民事信託を行う場合、まずは遺言書あるいは契約書を作成します。両者の違いは、どのタイミングで、書類に効力をもたせるのかということです。遺言書の場合は死後、信託契約書の場合は生前と覚えておきましょう。
どちらの書類を作成する場合であっても、以下の内容を記載します。
● 3者(委託者・受託者・受益者)の氏名
● 信託財産の詳細
● 信託の目的
● 目的達成までに受託者が行う行為
● 信託終了に関する事由
上記の他に記載したい事項がある場合は、別途弁護士と相談してください。
不動産の登記を行う
信託財産のなかに不動産が含まれる場合は、不動産の名義を委託者から受託者へ登記を変更する必要があります。
移転登記を行っていない場合には、民事信託がもつ機能のうち「倒産隔離機能」を使うことができません。くれぐれも登記を忘れないよう注意してください。
必要な書類を用意
前提として、信託契約の書類や遺言書を作成するにあたって、必ず用意しなければならない書類はありません。下記2つの書類を用意しておけば、ミスによる契約の不成立はもちろん、書類そのものが無効と判断されてしまうリスクを回避できます。
● 3者(委託者・受託者・受益者)の住民票
● 信託財産の登記事項証明書
また、契約書を公正証書として残すためには、委託者と受託者の印鑑証明も必要となります。
弁護士に支払う費用
弁護士へ依頼して民事信託を行う場合、法定費用がかからないため必ず発生する費用はありませんが、遺言者や契約書の作成にあたっては、専門家のアドバイスを受けるケースが多いので相談料や書類作成料などの名目で報酬を支払うことになります。
民事信託を利用する注意点
民事信託を行う場合は、「管理能力の有無」「遺留分」「権限乱用」の3点に注意を払う必要があります。注意点を把握していないまま、民事信託を結んでしまうと、後から管理能力を問われたり、受託者に権限を乱用されたりといったトラブルを招いてしまいます。そのような事態に陥らないよう、ここで確認しておきましょう。
管理能力の有無
民事信託を行う場合、委託者の行為能力や意思能力などが問われる可能性があります。例えば認知症などをすでに発症している場合、自己の財産に関する管理能力がないと判断され、信託契約を結ぶことができないのです。
仮に、意思能力がある状態で契約を結んだ場合でも、その後認知症などの症状が急速に悪化していくこともあります。その契約が一部の関係者にとって不利な内容だった場合、後日その関係者が異議を申し立ててくる可能性があるためです。認知症などは「いつから発症したのか」という線引きが難しいので、第三者による客観的事実を証拠として残しておくと、上記のようなトラブルを避けられるでしょう。
遺留分の減殺請求
遺留分への対処方法も事前に考えておきましょう。法定相続人には遺留分というものが確保されています。これは遺言等を用いたとしても、排除できない権利であるため、当然民事信託を行っても遺留分は残ります。
遺留分の減殺請求を回避するためには、管理運営権と収益権を分けるとよいでしょう。財産を相続させたくない者にも、お金は支払わなければなりませんが、一定の収益権は与えるということです。そのうえで、いくつかの条件をつけ、その条件に該当する行為を行った場合には受益権を消滅させる、買い取れるなどの条項を入れておきましょう。
受託者の権限乱用を防止
信託財産の帰属主体となる受託者は大きな権限と責任を負うことになりますので、誰を受託者に選定するかは非常に重要です。特に、受益者が社会経験や判断能力の低い子供である場合など、受託者よりも弱い立場であった場合、受託者が権限を乱用して財産を不当に流用するようなこと
があってはいけません。
そこで、委託者が他界した後も立場の弱い受益者を守るため、信託契約時に、受益者を守る要項を加えておく方法があります。そのためには信託監督人等の第三者の目を入れる必要があります。家族と無関係な弁護士や司法書士を監督人に選ぶことで、より実効性が高まります。このように、大きな権限をもつこととなる受託者は、くれぐれも慎重に選ぶことが大切です。
民事信託に関わる税金
日本の税金は、名義人や契約に関わらず、実際に利益を受け取る者に課される仕組みです。つまり民事信託においては、受託者ではなく「受益者」に税金の支払い義務が生じます。受託者はあくまでも、信託財産を管理・処分する権利しか持っていないので、課税の対象にはなりません。
民事信託における課税の仕組み
民事信託に関する税金は「相続税」「贈与税」「法人税」「所得税」の4つ。何の税が課されるのかは、権利を移すシチュエーション(タイミングともいえる)によって変わります。発生するシチュエーションと税の種類は以下のとおり。
シチュエーション | 税の種類 |
生前に権利を移す場合 | 相続税 |
死後に権利を移す場合 | 贈与税 |
権利が売買された場合 | 法人税・所得税 |
それぞれ信託財産から生まれた利益に応じて税率が変わります。一般的に、節税という観点からみると、民事信託は効果がないとされています。しかし「流通税」だけを見ると、節税に関して一定の効果があります。流通税とは、財産の権利を移転する際に課される税金のことです。不動産取得税や免許登録税などがこれにあたり、民事信託であれば、不動産所得税の納付義務はなくなり、免許登録税も5分の1にできるのです。
民事信託にまつわる相談先
民事信託は家族間での契約であるため、個人で行うことも可能です。しかし、民事信託には、法律的知識が必要となるうえに、より確実な契約とするためには公正証書の作成もしなければなりません。つまり、専門家のアドバイスなしに、民事信託を行うのは現実的ではないということです。本章では、相談先として適した相手を紹介します。
弁護士
民事信託を行うために相談する相手として、まず挙げられるのが弁護士です。もちろん弁護士への相談には、相応の報酬を支払わなければなりませんが、相続トラブルの対策などもできるため、よりスムーズに信託契約を進めるうえではおすすめです。
司法書士
民事信託を行う場合、司法書士の力を頼るのも手段のひとつです。民事信託の目的によっては「遺言」「成年後見制度」などを併用する可能性もあります。司法書士ならば、その手続きや書類作成、不動産登記もそのまま依頼できるので便利です。
法人窓口
弁護士や司法書士の他に『一般社団法人民事信託相談センター』という機関もあります。実績豊富な専門家が在籍しており、民事信託に関するさまざまな悩みを相談できる窓口です。
また同センターは、民事信託にまつわるセミナーも開催しています。民事信託へ向けて、本格的に動き出す前に「話だけ聞いておきたい」という方にもおすすめできるでしょう。
まとめ
民事信託について、制度の概要や機能、メリット、デメリット、費用についてなどを解説しました。財産について、家族間で気軽に相談できる反面で、細かな法律的知識を要する契約でもあります。よりスムーズ且つ、確実に民事信託で交わした、契約内容を行使するためには、専門家によるアドバイスは、欠かせないといっても良いでしょう。